子育て研究所

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Lesson 5-3 他者受容、他者理解

 自己受容の次は、「他者の受容、他者理解」です。
 自分大好きというのは、決して悪いことだとは思いませんが、それだけでは不充分だと思います。最近は「ジコチュー(自己中心)」というのが問題視されていますよね。自己中心的な人というのは、興味のベクトル(方向)が内側にしか向いていないのです。教育の目標のところでも申し上げましたが、生きる力は、自立する力と他者と共存する力でしたね。興味の中心が自分だけではダメなのです。つまり、家族、親戚、知人、友人から始まり、国家、世界に対しての基本的な信頼感が必要になってきます。「渡る世間に鬼はいない」という諺(ことわざ)がありますが、基本的には社会は信頼できると考えている人の方が健全です。しかし、子供に対して、「知らない人についていっちゃダメよ」といったことも教えなければならないことも確かなのです。
 それはそれとして、私が言いたいのは、「みんな俺をバカにしているんだ、嘲笑っているんだ、そんな奴らには復習してやらなければならない」といった価値観で生きているような、社会に復讐するために、夜な夜な精巧な時限爆弾を作っていそうな人(テレビドラマの見すぎ?)になってもらっては困るということです。自己嫌悪に陥っている人が精神的に健康ではないのと同様に、他人への不信感で凝り固まっている人も精神的に健全であるとは言えません。社会に対する基本的な信頼感が欠けていると、被害妄想に陥って、「社会は俺の敵だ」というように考えるようになり、さらに進むと、「そういった社会に対して、攻撃し、復讐しなければならない」と考えるようになり、爆弾犯のような悪い意味でのマニアックな、オタクな人間になるかもしれません。

 自己受容と他者の受容(社会への信頼感)について述べてきましたが、そのあたりのことはたいへん密接に絡み合っているのです。まず、自己受容ができるためには、たっぷりと正しい愛情を注がれなければなりません。(愛情の量と質が問われるわけですが、質に関してはここで勉強します。今まであなたは質より量で勝負していませんでしたか?) そうすることによって、自己受容が育ってきます。また一般に、自己受容が育つに比例して、他者受容も育ってきます。自分の足りないところを、失敗したところを、罪を無条件に受け入れられた人ほど、他者に対しても、許し、寛容な心をもつことができるのです。キリスト教の基盤があるところでは、そういった考え方に抵抗がありません。イエスが私たちの罪を背負い、十字架に架かってくださったという思想が根底にあるので、私たちも他の人が私に対して犯す罪や失敗に対して許していこうという気持ちを持つ努力をしているのです。

 さて、周囲に対して信頼感を持てる子供にしていくには、次に述べる3番目の条件も必要になってきます。それは「所属感」なのですが、家族、クラスへの所属感を持たせ、安心感を抱かせるようにすることもひとつの方法です。また、むやみに競争させず、協力することを学ばせることも重要ではないでしょうか。