子育て研究所

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Lesson 8-2 自由を制限するもの

 さて、自由についてお話をするのですが、自由には、「Freedom」と「Liberty」があります。日本語では、自由という言葉しかありませんので、これらをきちんと区別していただきたいのですが、その件に関しては、これからお話しする本題とは直接関係がないので、割愛いたします。気になる方は、多くの人が語っているので、インターネットで検索して調べていただきたいと思います。
 そもそも、「自由」という言葉は仏教用語で、「自に由る」(おのずからによる)という意味であって、英語の「Freedom」という本来意味の異なる言葉を日本語に訳す際に、この「自由」という言葉を当てはめた経緯があるそうで、それまでの日本には、「自由」を表す適当な言葉すらなかったということになります。まあ、そういったお国柄ですから、自由の意味をはきちがえている人が多いのかもしれません。しかし、これからの私たちは、日本人であるとともに、国際人でもなければなりませんので、この機会に少しでも「自由」について考えてみましょう。

 私は若い人がよく言う、「人に迷惑をかけなければ、何をやったっていいじゃん」という考えがありますが、私はそれに対して、基本的には賛成の立場です。人に全く迷惑がかかっていないのに、それを否定するということは、多くの場合、価値観を押し付けていることが多いように感じます。他人の行為で、どうしても気になるものがあれば、「すみませんが、○○をやめていただけませんか」とお願いすればいいだけのことです。それに対する解説はまた後でする予定ですので、ここでは、「自由を拘束するもの」について考えていきたいと思います。

 以前に、自由の欲求よりも、所属の欲求の方がより強いのではないかという意見は覚えていますか? それも思い出していただければ幸いです。それを踏まえて聞いていただきたいと思います。
 私は、子供にも、周囲の大人の人にも、できるだけ自由であって欲しいと思っていますし、私もできるだけ自由でありたいと願っています。私たちの自由を拘束し、規制するものは、「責任」と言われます。つまり、自由には責任がつきまとうということです。逆に言えば、「責任のない自由はない」ということになるのでしょう。しかし、これでは子供に説明しても、あまり理解してもらえないようです。実際に、大人にとっても、何だかわかるような、わからないような感じだと思います。ここでは、子供の自由をわがままにしないために、自由に伴う責任について、具体的に考えてみましょう。

自由を主張する際に注意すべきこと
(1)ルールを守る
 前の課で、遊びのルールに関しては少し触れましたね。覚えていますか? ルールやきまりに対して、自由を制限するものだと考えている人がいますが、本当にそうでしょうか。ルールは本来、互いの自由を最大限に認めるためにあるのではないでしょうか。車が左側通行なのは、みんなが自由に道路の右や左を走ったら危なくて、逆に不便だからそのようにルールとして決まっているのでしょう。日本に住む以上、日本の法律は守らなければなりません。私たちが、ルールがない無秩序なところには住みたくないように、学級崩壊で秩序がないところにも、子供たちも本当は居たくないのです。つまり、ルールは本来、人の自由をより保障するためのものであり、ただ制限するだけのルールは意味がありません。しかし、校則ではそういった意味のないものが多いのも事実です。それでは子供たちはルールを尊重しようと思うようになるはずはありません。ここでは詳しく触れませんが、意味のない校則が子供に与える影響は大きいのです。ルールは人を自由に、幸福にするために存在するのです。人がルールのために存在するのではありません。校則の中には、ルールの中に、無理やり子供を押し込めようとするものも少なくないようです。だんだんと改善されているようですが....。

(2)同じ権利を他人にも認めること
 これができないと、自己中心的と言われます。おもちゃを独り占めする子供は、そういった認識がまだできていないのです。僕がおもちゃで遊ぶ権利があるのなら、一緒にあそんでいるお友達にもその権利があるということを認識できるようになると、意識的な自己中心的な行動が減ってくるとよそうできます。子供にわかりやすい言葉に直しますと、「僕だけが特別じゃない」ということでしょうか。大人になって、そのようにしていると、「あの人は、自分を測るものさしと、他人を計るものさしが違う」とか、「自分に優しく、他人に厳しい」と言われます。あなたは大丈夫ですか? 子供には「テレビを見るのは1日○時間以内にしなさい」と言いながら、自分は好きなだけテレビを見ていると、子供は正しい平等を学びません。特権階級というものが存在するんだと学んでしまうでしょう。そうなると、自分が暴力などの力を使って、特権階級になろうとします。みんなのリーダーではなく、自己中心のガキ大将になろうとします。もしくは、それがかなわないと感じたら、そのガキ大将の取り巻きになって、おこぼれをいただこうとするようになるでしょう。とにかく、自分がずるいやり方を使って、他の人より有利になろうとするのです。そういった子供が大人になって、政治家になれば、その権力を汚職という形で利用し、上司になれば、部下に対して権力を利用して、自分の要求を通そうとするようになるかもしれませんし、教師になれば....。
 もし、子供に対して、配偶者に対して、周囲の人に対して、思い当たることがあれば、改めなければなりません。

(3)起きる結果を自分で引き受けること
 自由を主張するだけ主張しても、その後始末をしないといけません。確かに、お小遣いを何に使おうと自由ですが、それでお小遣いがなくなったという結果は自分で引き受けなければなりません。子供がお小遣いをパパッと使った後に、「仕方ないわね。今度だけよ」と与えていると、結果を引き受けない子供に育つかもしれません。「お遊びのときに、散らかすのは自由だけど、後で片付けてね」といったように、最初から散らかさないしつけよりも、後始末をするしつけの方がいいように思います。
 目覚まし時計の例を思い出してください。子供の起こした結果を、子ども自身で引き受けるようにしていますね。そうせずに、親が責任を取ってしまうことを甘やかしというと説明したと思います。また、前の課でアイロンを触ることについてお話しましたが、良くも悪くも、自然は全く容赦をしません。アイロンを触って熱いと感じることから逃れられないように、自分で起こした結果については、原則として親が手出しせずに、子供に後始末させることが必要でしょう。もし、子供が手伝って欲しいと言ってきて、それが教育上手伝った方がいいと思えば、話し合いによって、どこまで親が手伝うかを交渉しておく必要があります。それ以外を親がやってしまうことは過干渉にあたりますよ。

 次のページでは、校則について考えてみます。子供の茶髪やピアスの是非がしばしば話題になりますが、あなたはどう考えますか?