子育て研究所

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Lesson 8-3 事例 茶髪の校則

 賛否両論あると思いますが、茶髪、ピアスに関する私の意見を述べます。
 茶髪、ピアスをはじめ、奇異なファッションをしている人たちに対して偏見を持つ人も多いようですが、別段そのこと自体は他人に迷惑をかけてはいないと思います。そのファッションはどうも気に入らないといった心理的な迷惑を別にして、実質的な迷惑を被(こうむ)っていないのに、自分と違う価値観を否定するのは、いかがなものでしょうか。ビートルズに影響されて、長髪(といっても、今から見れば長髪とはいえませんが)にする若者男性が増えた時は、「長髪は不良だ」とも、「ロックは不良だ」とも言われました。同様に、茶髪が流行りはじめた時も批判はありました。しかし、時とともにそういうことはごくあたり前のことになってきています。つまり、ロングヘアーがダメだとか、茶髪が悪いとかいうのは、時代の価値観に左右されることであって、時代とともに変わり得る価値観を理由もなく否定する人は、異文化に対して許容量が小さい人であると思います。私がそのように主張すると、私がすごいファッションをしているかと思われるかもしれませんが、私は生まれて一度も髪を染めたこともありませんし、ピアスもしていません。ただ、他人に対して寛容な気持ちがあるだけです。
 教師や親の中には、服装や頭髪の乱れは非行の始まりだという人がいます。そういった人に対する意見も持っていますが、今は話を進めることを優先し、そういった質問があったときのネタとして取っておきましょう。
 しかし、我が子が突飛な服装をしはじめたら、親として黙っていられない、そういった場合はどうすればいいのか、とおっしゃるでしょう。そういった場合は、叱らずに、お願いすればいいのです。どうしても親や教師は頭ごなしに叱ってしまいがちですが、せめて理由を聞くとか、このようにして欲しいと頼んでみることから始めることをお薦めします。お願いしてダメだったら叱るのかと言われそうですが、そこで叱っては、子供は「やっぱり、親も教師も上から押しつけようとするんだ」と思ってしまうでしょうから、私ならそうはしませんが、皆さんはまだ勉強段階ですから、そこまでは要求しません。何ごともスモールステップと申し上げました。ですから、叱るにしても、頭ごなしに叱ることぐらいは我慢していただきたいと思います。叱る前に冷静な言葉で、どうして欲しいか伝えるということです。

 学校の先生方はよくご経験のことと思いますが、高校で全く校則に従わず、禁止されている服装、髪型をいっこうにやめようとしない生徒がいますよね。そんなにまでその服装や髪型が気に入っているんだったら、高校を卒業して、社会人なり、大学生になったら、さぞ突飛な格好をするだろうなと思っていたら、卒業したら、そんな変な格好をするわけでもない、普通の格好をしている。そういう生徒は山ほど見てきたはずです。その理由は何だと思いますか? その生徒がそういった格好をするのは、その服装を通して、学校に、教師に反抗しているからなのです。つまり、その変な格好は、学校や教師の権力に対して、自分は屈していないという、権力に反抗する手段に過ぎないのです。その証拠に、自由な校風の学校の方が、変な格好をしている生徒は少ないのです。教師は校則で拘束し、子供はそれに対抗するという力比べを延々とやっているのです。その力比べの手段が「服装」なのです。それは両者にとって、エネルギーの無駄遣いです。それで、教師は忙しい忙しいというのは、おかしい気がします。

 では、どうすればいいのでしょうか。子供との権力争いの状態になっている場合の方法はただひとつ、権力争いの土俵から身を引くことです。誰もひとりで相撲をとれる人はいません。夫婦の喧嘩でも、先に土俵から身を引ける人がオトナです。
 そういいますと、「でも、争いの土俵から降りるということは、子供が変な格好をするのを許せと言うことなのか」という人がいます。そういう人は残念ながら、お子さんを信じていないということですし、日頃から好ましい関係を築いていないということです。本当に、子供といい関係を築いているならば、お子さんは反抗のための変な格好はしません。
 権力争い状態の子供は、そんな妙な格好はしませんが、もし妙な格好をしていて、親がそれをやめてもらいたいと感じているとしたら、次のような話し合いで決着がつくはずです。

 「ねえ、あなたの服装や頭髪が気になるんだけど、ちょっと話していい?」
 「いいよ」
 「ママはあなたにそういった服や髪の色は似合わないと思うの、変えてもらえないかなぁ。」(命令ではなくお願いです)
 「そうかなぁ、私はそうは思わないんだけど....。」
 「もちろん、最終的にはあなたの問題だから、あなたが決めればいいんだけど、どうもあまり似合っていないように思うし、私の好みとは違うのよ」
 「そう、ママがそういうのなら服装は変えてみるわ。でも、髪は私も気に入ってるから、そのままにしておきたいの」
 「そう、ありがとう、服装だけでもママの頼みを聞いてくれて嬉しいわ。ありがとう」

 このような感じでしょうか。子供自身の問題に対して、強制を加えるやり方をするならば、従来の教育法と全く変わりありませんね。子供の反抗を招くでしょう。子供の課題に対して命令はできません。でも、お願いや依頼はできます。人間関係が正常であれば、意見の食い違いは、お互いの妥協案を探そうとします。それを学ぶのが社会性を身につけるということです。この場合は、服装のほうでの妥協案を探しましたが、髪の染め方をソフトにするという妥協案でも結構です。もちろん、子供が一歩も譲らないとしても、本来子供の問題ですから、それ以上の強制ができないことはおわかりだと思います。しかし、学校では、お願いもしない、妥協案も提示しないというやり方です。それでは、子供が反発するのは当たり前です。

 こういう人もいます。「服装や髪型が親や教師に反発するための手段になっているだって、そんなバカな」と。でも、実際よくあることですよ。例を見てみましょう。日曜日の夫婦の会話です。

 「ねえ、あなた、お醤油を切らしちゃったの、ちょっと買ってきてくれない?」
 「え~、面倒くさいなぁ」
 「面倒くさいってあなた。あなたが昼は肉じゃががいいっていったから、今作ってるんじゃない。あなたはテレビを見てるんだから、行って来てくれてもいいでしょ。」
 「たまの休みぐらいのんびりさせてくれよ。いつも俺は忙しいんだから。それに、お前、醤油ぐらい切らさないように買っとけよ!」
 「何よ、仕事してるからって! 私も毎日忙しいのよ! 暇なときぐらい手伝ってくれてもいいじゃない! だったら、あなたは肉じゃが食べなくていいのね! あなたが買ってきてください!」
 「いや、醤油を買い忘れたのは、お前の責任だ! お前が買ってこい! 俺は絶対に買いにいない!」
 ・・・・(続く)・・・・

 なんて、この場合は、「醤油を誰が買いに行くか」という本質的な問題から離れて、「醤油を買いに行く」ということが、妻が勝つか、夫が勝つかという権力闘争の種になっていますね。結局買いに行かされた方も不満が残り、次は絶対に負けないと固い決意をし、ことあるごとに権力闘争が繰り広げられるのです。服装や頭髪もほとんどその醤油と同じことです。

 まとめましょう。権力闘争状態になっているということは、それまでの関係づくりができていなかったということです。まずは、そちらの方を改善すること。そして、子供はこと細かく校則で規制していかなければ、とんでもないことをしでかすといったような、子供を信頼していない状態をやめ、子供を信頼するようにするということです。あとは、違う価値観に対して、寛容な姿勢を持つということでしょうか。

 親や教師ばかりを責めるようなことを申しましたが、子供にも覚えておいて欲しいことがあります。前のページについての(3)を思い出してください。「起きる結果を自分で引き受けること」ということを申し上げました。ということは、茶髪、ピアスで面接試験を受けて、試験官に対しての印象が悪くて落ちたとしても、その責任は自分で引き受けなければなりません。その時になって、「親がピアスを禁止してくれなかったから、面接に落ちた」という理屈は通りません。
 まだ、茶髪が一般的でない頃、私の友人がこのように言っていました。「銀行に、口座を作りに行ったんだけど、窓口の女性の人が明らかに染めた茶髪だったので、感じが悪くて、別の銀行で口座を作ったわ」と。そういったことで損をすることもありうるのです。もし、銀行としてそれが嫌ならば、その女性職員に対して、職場での茶髪を禁止することを要求する権利はあるのではないでしょうか。もちろん、仕事以外の時間でそれを制限することはできません。

 校則で茶髪を禁止していたとして、茶髪の生徒に対して、勝手に髪の毛を切ったり、勝手にその場で教師が罰を決めて、それを適用するのは問題があります。茶髪は校則違反かもしれませんが、違法ではありません。教師が勝手に髪を切るということは、理容師免許を持っていないものが髪を切るということで違法ですね。さらに、意に反して勝手に髪の毛を切るのは傷害罪も適用されます。さらに、その場で勝手に教師が罰を決めて、適用するというのは、前に申し上げた、教師が警察と裁判官と刑の執行人を兼ねているということで、民主主義を教える役割を担う学校として、最悪の行為です。もし国家がそれをやったとしたら、世界中から絶対に許されない、ファシズムだ、と全世界から非難を浴びますよ。先生方には、そういったことを自覚していただきたいと思っています。
 だからといって、生徒の側も勝手に校則違反をしていいというわけではありません。正しい手続きを経て、校則を変えてから、堂々と髪を染めたり、ピアスをするべきです。それまでは、不当な校則であっても、それに甘んじなければなりません。そういった手続きを経ることが民主主義的な解決の仕方です。映画「フットルース」はそういったストーリーでしたね。フットルースの主人公のケビン・ベーコンは正統な手続きで、ダンス禁止の街をダンスOKの街にしてしまいます。不当な校則にただ反抗して、教師といつまでも権力闘争している子供っぽいやり方よりも、そっちの方がずっとカッコいいし、遣り甲斐もあるということを教えてあげるといいと思います。もし、あなたのお子さんが、そのリーダーとなって校則を変えていくとしたら、その中でどれほど貴重な体験を得るかわかりません。逆境に対して、ぶつぶつと言っているだけではなく、行動を起こす人間になるならば、どれほど素晴らしいことでしょうか。
 もちろん、あなたもぶつぶつ言ってばかりの人にならないでください。教育問題を話す人の中には、「教師が悪いんだ」、「いや、親が悪いんだ」、「社会そのものも悪い」などと、誰が犯人かということばかりに興味を示す人がいますが、それは問題解決とは何ら関係がないことです。重要なのは、誰が悪いかではなく、あなたに何ができるか、私たちに何ができるかという前向きな姿勢ではありませんか? よかったら、あなたも私たちのこの小さな教育改革運動に参加してみませんか?