子育て研究所

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Lesson 11-2 協力について

 「子供に対して、競争を教え、人を蹴落とすことを教えるのがいいのでしょうか。それとも、横並びのゴールのような、無菌室での培養のような状態で育てるのがいいのでしょうか? あなたのご意見は、どっちですか?」といいました。どっちも嫌だと思われた方も多いと思います。こんな書き方をすると、どっちも嫌ですよね。

 私の考えを書きます。私はあえて競争を教え込んだりはしません。競争だけで育てられた子どもは協力ということを知りません。勝つか負けるか、結果が全てです。結果が全てだということは、プロセスを楽しんでいないということです。もしかしたら、勝つためには手段を選ばないと思っているかもしれません。そして、結果が全てですから、勝負に負けたときは、生きる気力がなくなるほど打ちのめされるかもしれません。
 だったら、無菌状態の培養をするのかといえば、そうでもありません。人生には多くの競争があります。それらを全て避けて通ることは不可能です。ですから、意図的に競争を避けて横並びでゴールさせるようなことを、親や教師がやっていこうとするならば、親や教師の手も休まらないし、子供の生きる力を育てることにもなりません。
 では、どうすればいいのか、積極的に競争を教えるわけでもないし、競争させないように子供を保護するわけでもないとしたら....。その答えは「競争ではなく、協力を教える」ということです。
 競争を教えずに、協力を教えるといっても、それでは競争に勝てないのではないかと心配になるかもしれませんね。大丈夫です。心配はいりません。協力をしっかりと身につけた子供は競争もできるのです。でも、競争しか学んでこなかった子供は協力はできないのです。片足で立てる子供は両足でも立てるけど、両足で立てる子供が片足で立てるとは限らないというような感じでしょうか。(あまりうまい例がみつかりませんでしたが....。) つまり、わざわざ競争を教えなくても、協力することさえしっかりと教えておけば、大丈夫だと考えています。協力の方が競争よりも高度な技術だからです。ついでに申しますと、今まで横の関係、対等な関係を薦めてきましたが、それも同様です。人と上手に横の関係が築ける人は、上下関係が必要な場合も上手にこなします。別に、上下関係の練習をする必要はないのです。

 一生涯、一度も敗北を経験せずに人生を終われる人がいるでしょうか。人生はゲームのようなものです。時には勝ち、時には負けます。人生はゲームだといいましたが、人生というゲームを楽しむためのいくつかの秘訣をお教えしましょう。これは野球やサッカーなどのゲームと同じです。まずひとつめは、真剣にやること。お互いに真剣にやるから面白いのです。八百長は面白くないですよね。次に、ルールを守ること。つまり、スポーツマンシップに則って行うということですね。ルールがあるからゲームは面白いんですよね。さらに、負けても深刻になりすぎないということもその秘訣です。また、目的とする結果を出すことだけに喜びを見出すのではなく、過程(プロセス)を楽しむ気持ちを持つということも、その条件に含まれるでしょう。そういったいくつかの条件を満たしていないと、ゲームは面白くないものです。

 ある会社のコンペ(取引の競争)の場合を考えてみましょう。協力が身についている人が競争する場合と、競争しか知らず、協力ができない人の比較です。
 協力を学んだ上で競争する人はまず、真剣に仕事に打ち込みます。スポーツの試合をする人が、たかがゲームだからといって、手抜きをしないのと同じです。そして、ルールを守り正々堂々と戦います。さらに、その結果たとえ負けたとしても経過(プロセス)を楽しみ、負けたことからも学び、すぐに気持ちを切り替えて深刻になりすぎません。そして、プロセスを分析し、その失敗を次へバネとして、その経験を生かす歩みを始めるでしょう。また、深刻になっていないので、相手を賞賛する余裕もありますので、戦いの熱い握手も可能なのです。一流のスポーツマンはそのように振舞います。ベストを尽くした相手も自分も素直に認めることができるのです。
 また、競争オンリーで育てられた人も真剣には戦います。しかし、彼にとって重要なのは結果だけなので、戦いのルールを守るとか、正々堂々とか、プロセスを楽しむことはありません。そして、負けたときは人生の全てを失ったごとくに落ち込み、深刻になりすぎるのです。そして、プロセスを楽しんでいないので、嫌な思い出でしかない負けるに至ったプロセスから学ぼうという気持ちもなかなか持てないでしょう。競争しか知らない人は、表面上は協力していても、心の中ではあいつには勝った、負けたと心の中が忙しいのです。また、他人の失敗を期待したりもしますし、他の人の足を引っ張ったり、蹴落としたりすることで勝利を得ようとするかもしれません。それでは、戦いの後の友情の握手も生まれません。なぜなら、相手を賞賛する心の余裕もないからです。

 他人と自分を比較しすぎたり、他人に嫉妬しやすい人は競争原理で育てられた人です。また、必要以上に身につける物のブランドにこだわったり、華美な服装にこだわったりするのも、競争原理で育てられた人かもしれません。他人との比較にこだわり、他人と比較して自分のほうがより高い位置にいるということを常に確認していないと自分の存在価値が見出せず、心が休まらないのです。その人にとって重要なのは、自分が今どの位置にいるかということ(絶対的な位置)ではなく、他人と比較してどれだけ高い位置にいるか(相対的な位置)が重要なのです。
 自分の絶対的な位置を高めようとするには努力するしか方法はありません。しかし、自分の相対的な位置を高めようとするには、さらに次の2通りのやり方もあります。

(1)他人の見かけの位置を引きずりおろすことによって、自分の相対的な位置を高めようとする方法
 他の人が下がれば、その分自分の相対的な位置が上がります。例えば、自分が50点の成績でも、他の人がみんな40点しか取れなかったら、自分が最高ということになるのです。嫉妬という感情はそれを満たすための感情ではないでしょうか。他の人を下げることによって、自分が高くなったように感じようとすることから生じる感情です。それが強すぎると思う人は、自己受容感を高め、ありのままの自分を認めるようできるといいと思います。

(2)自分を実際の位置より高く見せようとする方法
 自分を本当に高めるのは多くの努力が必要ですが、見せかけだけを高くするには大きな努力は必要としません。いわゆる、見栄をはるというやつです。自分に嘘をついて、実際より上に見せようとしているのです。
 これら「嫉妬、ねたみ」や「見栄、虚栄」なども心のバランスを取るためにつくり出された感情ですので、一概に悪いとは言いませんが、建設的な解決方法ではありません。他人との比較ではなく、自分の絶対的な位置の向上を努力によって勝ち取っていくのが最も建設的な解決方法と言えるでしょう。これらのマイナス的な感情も、もしかしたら、理想の自分との無意味な競争のひとつかもしれませんね。