子育て研究所

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Lesson 1-5 解答例2

 あなただったら、さとし君を捕まえるために、追いかけて行きますか? 追いかけなくても、大声で注意しますか? 現場の先生(指導員)も私に追いかけて捕まえてきて欲しかったようで、「さとし君がサボって運動場の方に行ったわよ!」と私に言いました。
 私のその場での対応は、先生のその呼びかけに、「あらっ、もう遊びに行きましたか」とさらりとかわし、近くの子に「仕方ないね。悪いけど一緒に手伝うから手伝ってくれる?」と近くの子と一緒に片付けてしまいました。現場の先生が、「追いかけて捕まえてきて!」と私に言ったら、ちょっと困ったかもしれませんが、「さとし君が運動場の方に行ったわよ」という事実を述べた言葉だったので、ちょっとズルしてしまいました。

 その現場の先生は私のそういった行動が奇異に感じたようで、子供たちが帰った後で、「サボる子を許してしまうと、他の子も真似をして、みんなサボるようになるから、そういう場合は必ず引っ張ってでも連れて来て、片づけをさせないといけません。子供がしないといけないのを大人が片付けてはいけません」と言われました。
 しかし、なぜ、私はそのような方法を採ったのでしょうか。
 まず第一に、自分で片付けた方が手っ取り早いということが挙げられます。
 次に、捕まえてきて片付けさせるといった行為が本当に教育的であるのか疑問に思っているという点が挙げられます。嫌がる子供を無理やり連れて来て、無理やりそれをやらせることに、それほど教育的効果があるとは私には思えません。

 その現場では2週間ぐらいお手伝いをさせていただいたのですが、そういった子に対して、私は常に同じ方法を採り続けていました。片付けられずに残っている机があったら、近くの子供に、「別の班の机だけど、一緒に片付けてくれる?」と頼んで、一緒に片付けました。私はその子供に「ありがとう。助かったよ」と声をかけ、微笑みかけ、感謝の気持ちを伝えます。私はこういうことの積み重ねによって、片付けた子供には、貢献することの素晴らしさ人から感謝されることの喜び、それから生まれる集団への所属感を与えられると信じています。では、片付けなかった子供にはどのように対処したでしょうか、あるいはすべきだったでしょうか。
 私は何もしませんでした。誰の責任かという詮索もしませんでした。もし、誰が片付けるべきか分っていたら、注意すべきだったでしょうか。それでも、私は注意をしなかったと思います。

 多くの大人は「○○くん、片づけをしないとダメよ」と注意をするでしょう。怖い教師なら、その言葉で子供は震えあがるでしょうし、なめられている教師なら、子供はその言葉を聞き流すでしょう。その現場の先生は皆さん優しい方ばかりだったので、子供も甘えているのかもしれませんが、先生方の指示は一部のやんちゃな子供たちには無視されることが多かったように感じました。
 その子供にとって、「片づけをしないといけない」ということは、言われる前から充分に分かっていることです。その現場の先生も「片づけをしないとダメよ」と声をかけ、それを日誌に記して、一応の指導したつもりになっているようでした。注意の言葉を子供が無視しても、とりあえずやることはやったと自分に言い聞かせているようでもあり、根気強く継続的に働きかけをすることが重要だと考えているようでもありました。

 結論に移りましょう。そういった場合の対処法のひとつとして、私が机を片付けなかった子供を見逃したのは、次のような意図があります。自分の班ではない机を片付けた子供はどのような気分を味わうかは上で述べた通りです。逆に、逃げた子供はそういった幸福感を味わうことができずに損をしたのです。気の毒なことです。私はこれ以上の罰を与えるつもりはありません。(元々、罰を与えるという方法は嫌いですが....。)その子は次もサボるかもしれません。また、その次も。でも、何回サボっても、その件には触れずに、普通に接し続けたら....。私がその子供だったら、その方がもっと耐えられないことだと思います。まだ、注意されたり、叱られる方がましだと思います。何回当番になって何回サボっても、いつも誰かが片付けてくれている。「自分が役割を果たさなくても、誰も困らない。自分がいなくても集団は回り続けている....。」 私だったら、そんな所属感を奪われるようなことには堪えられません。もしかしたら、数回後には、「お願いだから運ばせて。何か手伝わせて」とお願いするかもしれません。

 多くの教師が似たような体験を多く経験します。そして、あまり効果がないことに気づきつつも、その度に同じ方法(無理やり本人にさせるという方法)で対処をします。多くの場合、最初の片付ける片付けないの議論のはずが、片付けさせないと教師の負け、片付けさせられると子供の負けといったような、権力闘争のパターンに陥ってしまいます。夫婦喧嘩のきっかけも、こういった些細なことから始まるのではないですか? 私は不毛な権力闘争を子供と繰り広げるやり方はお薦めしません。

 あなたはそんなにうまくいくかしらと思うかもしれません。私が述べたような方法をやってみるか、従来の方法をやり続けるかは自由です。強制するわけではありません。新しい方法、未知の方法を試すのは勇気が必要です。それは良くなる可能性もありますが、悪くなる可能性も孕(はら)んでいるからです。リスクがあります。でも、私は子供を信じたいと思います。子供の力と可能性を。もし、それでうまくいかず、裏切られてもいいじゃないですか。また、別の方法を探せばすむことです。子供とつきあうということはそういうことじゃないかと思います。
 さらに考えると、犯人を見つけ出して、その本人に片付けさせるという一連の行為は、恐らく「机運び=嫌な仕事」であるという子供たちの認識を助長させるのではないでしょうか。そして、「それは自分には責任がない、悪いのはあいつだ」という観点から物事を見る子供を育て、「自分には何ができるか」という建設的な考えに目を向けることを育まないように思うのです。机が片付けられていない、じゃあ、私が片付けよう。ゴミが落ちている、誰が捨てたのか分らないけど、ゴミ箱に入れよう。そういう前向きな人間に育って欲しいと思います。従来のやり方では、ゴミを見ても、私が捨てたんじゃないから知らんぷりという子供が育っても不思議ではないと思います。もちろん、責任を追及することを否定する訳ではありませんが、「人がどうこうと言う前に、自分には何ができるか」という視点も育んでいきたいと願っています。子育てにしても、親が悪い、教師が悪いという前に、「自分には何ができるか」という姿勢で学んでいただけたらと思います。誰が悪いかを探すのは、直接の問題解決には繋がりませんね。

 このように考えてみると、手を掛けることよりも、むしろ手を掛けない方が教育効果が高いことも多いようです。それは二重に不経済なことです。確かに、第三者から見れば、机運びをサボる子を容認するように見える指導者よりも、追いかけて行ってでも捕まえてくる指導者の方が良く見えるでしょう。しかし、私たちは第三者の目を基準に動いているのではないので、子供にとって良いと思われる方を選択すべきだと思います。
 ただ、学童保育の先生の言葉を全く否定するわけではありません。「子供がしないといけないのを大人が片付けてはいけません」ということには、もちろん私も賛成です。それが子供の部屋で、みんなが使う公共の場でなかったら、私も子供自身の責任として任せます。ですが、そこはみんなが使う公共の場だからそうしたのです。

 このように私が提案する新しい子育ては、今までのあなたが考える常識的な子育て法の延長上にはないかもしれません。それに、しっかりと理論を身に付けて行わなければならないタイプのものです。形だけを真似しても失敗するのです。それでも次へ進んでいただける方のみ次へお進みください。


[ 追記 ]
さとし君への対応で、誤解の無いように補足しておきます。
さとし君には、「何回サボっても、その件には触れずに、普通に接し続ける」のであって、決して無視するわけでもなければ、片付けようとしても、手伝わせないのでもありません。遊ぶときには一緒に遊び、笑い、いい人間関係でいるということです。「あなたは机を片付けないから遊んであげない!」といったケチな了見ではないのです。
もちろん、さとし君がきちんと当番の仕事をしようとした時は喜んで迎えてあげてください。言葉がけについては中級編でまた詳しく解説しますが、その時の言葉がけは「偉いね」とか「すごいね」というほめ言葉より、「ありがとう」とか「わぁ~助かるなぁ」とか「手伝ってくれて嬉しいな」とか「一緒に片付けると気持ちがいい(楽しい)ね」といった言葉がけがいいと思います。決して、「今日はどういった風の吹き回しかな」などと厭味(いやみ)を言わないでください。ここぞとばかり、今までしてこなかったことをほじくり返してのお説教口調も、「どうだ、きまりを守って片付ける方が気持ちいいだろう」というのもなしです。
何も言わず、子供が感じるままにしておくのです。「あっ、役に立つって楽しい」、「人が喜んでくれるのって嬉しい」と感じるちいさな感覚を大切にしてあげてください。説教くさい言葉によってその小さい感覚の芽生えがスポイルされてしまうような気がします。